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「難中之難無過斯の研究」を読んで

「難中之難無過斯の研究」に見る哲学的課題

慶應義塾大学 文学部教授 西脇与作


宗教と科学は対立するものとして扱われることが一般的であるが、日本では宗教と科学を対立とは見ない人が相当多いのも確かである。親鸞の思想と科学という一見して異質な領域を統一的に論じる本書の試みは表面上日本的と言えないことはないが、肝心のテーマは哲学の分野では古くから心と脳(物質)の問題として取り上げられ、デカルト以来心身問題と呼ばれてきたもので、決して日本的なものではない。
そこで、本書の「はじめに」にある基本的なスタンス、すなわち;

『感情や思考などの心的なものが、物質的なものである脳の活動によって生じていることに疑問の余地がないにもかかわらず、私たちは「物質から心が生じる」ことがどのようなプロセスで可能になったのか明確に記述できず、それゆえ納得できる説明を手に入れていない。この説明こそが哲学の難問であり、明確に答えることは至難の業だが、ここでは物質とその働き、すなわち本書で物質的プロセスと呼ぶものの内に、脳の働きを通して人の心を生み出す深遠な力が秘められていると想定する。』

について哲学的な検討を加えてみたい。これは物理主義的な心脳一元論と呼ばれる考えであり、認知科学や脳科学による心の解明の背後にある哲学である。
ギリシャの哲学の多くはアリストテレスに代表される存在論が中心だが、このギリシャ哲学のパラダイムはデカルト以降の哲学では新しいパラダイムである認識論に移っていく。認識を哲学の第一の主題にすることはカントがコペルニクス的転回と自負したことである。20世紀に入ってパラダイムは認識論から言語論に移った。このように哲学の流行は、存在論、認識論、そして言語論へ移ってきたと言えるだろう。言語論の次に来る20世紀後半の流行は物理主義、自然主義と呼ばれているが、この立場から以後の話を展開してみよう。(自然主義や物理主義はガリレオやニュートンの物理学の主張とは異なる筈である。例えば、情報はガリレオやニュートンにとっては実在ではなかった。)
20世紀の物理学の成功は物理主義という思想を生み出し、いずれ物理学ですべてが説明されるという夢を多くの科学者に与えてきた。その夢によれば、心の働きも脳内の機能として最終的に物理学的に説明される。つまり、私たちの知識や意識は脳細胞とそのネットワークによって説明され、その脳細胞は素粒子からつくられ、進化の結果、人間の脳を生みだすまでになったと考えられている。このように一貫して物理学的に、そして心の精神的特徴を還元的に説明しようとするのが物理主義的な方策である。上記の本書の基本スタンスは物理主義の典型といってよいだろう。
では、この物理主義は信頼できる主張なのか。物理主義を支える物理学は多くの人間が協力して生み出した経験的な知識であり、その知識によって世界、生命、心が考えられ、私たちの生活を支えてきた。物理理論は信頼できる知識であることが経験的に確かめられ、それは「験証」と呼ばれているが、験証は私たちの実験や観測によってなされる。物理理論は心が構築したものであり、その験証も心が働く実験・観測によってなされる。これは自己言及的である、つまり、心がつくった物理理論の正しさは心によって確かめられ、その理論を使って心が最終的に説明されるという循環的な構造になっている。これは科学理論の正しさが絶対的でも無根拠的でもなく、経験的であることを示している。
また「考える」という心の働きは物理的な出来事ではない。考える、すなわち「論理や言語を使った思考」というのは思考内容を議論する際に有用な表現ではあっても、脳における思考の物理的機能を表現するものではない。物理的な出来事ではない私たちの心の働きを物理学で直接的に説明することができるのだろうか。論理、言語だけでなく、感情、情緒、意思、欲望と呼ばれているものも脳内の物理的な出来事ではない。それゆえ、物理学的な説明はできないと結論するのが、私たちが心や精神についてもってきたこれまでの伝統的な解答である。
精神が芸術作品を生み出すというのはアリストテレス的な因果関係の一つであっても、それは物理学的な因果関係ではない。脳から心が生まれるのも同様で、アリストテレス的には因果関係が認められるかもしれないが、厳密な意味で物理学的な原因と結果の関係ではない。例えばアインシュタインの脳が彼の精神を生み出し、それが相対性理論を生み出したのであれば、彼の脳が原因で相対性理論が結果になる。だが、それを物理学的な因果関係だと考える人はいないだろう。もっとも心脳同一説に基づいて、彼の脳が学習の結果、ある状態になり、その状態が相対性理論のある命題を表象する、ということは可能だろう。だが、心脳の同一説では心と脳の間に因果関係はない。というのも、心と脳は同じものの異なる側面、異なる表現に過ぎなく、それゆえ、心のある状態と脳のある状態の間に原因、結果という因果的な関係はないからである。
ただし本書にある「脳から心が生じた」という表現は原因、結果といった物理学的な概念に拘泥しなければ進化の事実として認めていいだろう。実際、このことをほとんどの人は進化の事実として暗黙のうちに認めている。しかし、細胞が集まり身体が生まれ、その身体から脳が生まれ、その脳から心が生まれるという進化の過程は、物体でないものから物体ができ、その物体から生命が、そして物体でも生命でない心が生まれたという進化の過程は、ロマンティックであっても信じがたい過程であるように思われる。
物理的な因果関係はないとは言っても、心の働きと脳の状態の間には何らかの対応関係があると考えたくなる。心の働きや状態と脳で起こる物理的な出来事や状態を間接的に結びつけることは原理的に可能だろう。ただ、この対応関係、すなわち外部世界の一部と脳内の活動との間の対応関係はかなり厄介なものである。例えば貴方と私が同じ命題を意識したとする。貴方の脳と私の脳は異なる脳でも、同じ命題(例えば2+3=5)を表象したり意識したりすればその心的な状態や内容は同じである。この対応関係は、同じ表象や意識が異なる物理的な装置、今の場合は異なる人たちの異なる脳、によって実現されるという関係である。物理的な装置、つまり脳とその活動過程は個別的で眼に見える対象、トークンであり、表象される内容は通常タイプと呼ばれ、これまで概念や命題と呼んできたものである。表象も個別的で眼に見える場合には同じようにトークン(つまり、物理世界の対象や出来事)である場合がある。それゆえ、表象内容と脳の状態は、多対一の関係になっていると言ってもよいだろう。しかし、タイプとトークン、あるいは2種類のトークンが対応していることを認めるには物理的でない「対応関係」を想定しなければならない。物理的でないものと物理的なものの間の対応関係は物理的でないゆえ、物理学の対象とはならないことになる。表象される内容が、数学的な対象のように一般的、普遍的で眼に見えない場合、対応している項はランクやレベルが異なった項になる。この場合、個々の物理的な「数字」がトークンだとすれば、タイプは非物理的な「数」で、ある数字とそれが指示する数との間の対応関係が心身の間にある対応関係と似たものとなる。それゆえ、これだけの議論からでも、対応関係の解明は難問であることがわかるだろう。貴方と私は異なる脳をもちながら、同じ知識、例えば2+3=5を共有でき、同じ脳をもつ双子は意見を異にすることができる。このような同じこと、異なることを認める対応関係はどのような関係かを明らかにすることは今のところ解決が覚束ないものである。
脳の活動を基礎に心を捉えるためには脳の物理的、生理的過程によって心の働きを解明しなければならない。だが、そのためには物理的でないあらゆるものを物理的なものに還元しなければならない。論理、言語だけでなく、感情、情緒、意思、欲望と呼ばれているものも物理的に表現できなくてはならない。これはとても大変なことで、感覚的な甘さを化学構造で説明することは何とか出来ても、論理や言語、感情や欲望となると神様にでもならない限り説明できないと考えてしまうのは余りに悲観的過ぎるだろうか。
また、クオリア(感覚質)は物理主義や機能主義では扱うことができないといわれてきた、代表的なものである。それゆえ、物理主義的にクオリアを説明することができるかどうかが物理主義者にとっては難問中の難問となり、物理主義を肯定するか否かの分かれ道になっている。

2011年4月20日 記




八木厚夫著「難中之難無過斯の研究」を読んで


東海大学名誉客員教授、前ソニー(株)取締役・中央研究所長

菊池誠



西田幾太郎が、著作か日記の中で「二人は、中心が互いに無限の遠くにある、半径無限大の二つの円で、その円周の一か所がここで重なっている」という形容を使っている。
「難中之難無過斯の研究」を読んで、この西田の言葉を思い出す。それは、私の思考(魂)の遍歴と著者のそれとが、ある場所で全くよく似た経路を通ること、それでいて、ある部分では、視点がそれぞれかなり離れたところに向いていることを感じる。

私は高校に入る少し前から、人生の根源を探ることに思いが傾き始め、それが文学と哲学に向かった。父の蔵書に、世界文学全集と明治大正文学全集が並んで居て、中学の始めころから、この全集を手当たり次第に読むようになったのが元である。
明治大正の作家の文章は、今でもそっくり頭に入っていて、かなりの塊がまとまって思い出すことができる。
高校で、西田哲学に異常なほどの興味を感じ、あの難解な西田の文章を繰り返し読んだものだ。この段階でも、私はまだ、宗教の本質的な所に触れようとはせず、人生の根源的な所は、文学と哲学に浸っていれば分かってくると思っていた。
私がキリスト経に真剣に向き合おうとしたのは、高校の終わり頃だった。「そのうち、戦争に行って死ぬ」という実感が迫ってきたこともひとつの動機だった。中学の先輩の親しい一人が、特攻で亡くなる前に、新聞記者と交わした話などが伝わってきたので、自分の死の近いことを実感したのだ。
大学1年の8月に敗戦、その後、「戦争に負けた国の国民がどういう生き方をするものか」という問題を抱え、四谷の上智大学の教会での聖書講義に通った。しかしそれは私の心の琴線にどうしても触れて来ない。私の悩みは深刻だった。
そのころ、高校時代の先生の一人で尊敬していた三谷隆正さんの文章にあった次の一言は正に痛打だった。『信仰は、知識で得られるものと思ったら救いがたい間違いだ』。
私は「勉強すれば、ある時点で信仰の道に足が乗る」と潜在意識で思っていたが、三谷さんは、知識など無くても神(または仏)を信じる人は信じる。山ほどの宗教知識を持っていても神や仏を信じることが出来るとは限らない。それは「別次元のことだ」というのだ。

結局、私が抱いていた物事の真実を知ることへの強烈な憧憬は「神あり」という信念では達成できないことを知り、「縁なき衆生」でしか有り得ない自分をはっきり意識したのだ。そして西田幾太郎の基本的立場、「どうしてもそれ以上疑うことのできないことだけを出発点とする」を拠り所として生きてきた。そこに「信仰」が入り込むことはなかった。

私にとって物事の真実を見つけ、その本性を解き明かすことの魅力は何者にも勝るが、その際に踏まねばならない手順がある。
湯川秀樹さんの時代、共に活躍した素粒子研究家に坂田昌一、武谷三男という人たちがいる。武谷さんの表現がわかり易いので紹介すると、私達が最初に見つけるのは「現象」であり、これを「現象論の段階」という。次にその現象を理解するために、そこにどんな物、あるいは構造が関与しているのか、試みのメンタルピクチャーを持つ。これは、仮説の実体を論じるので「実体論の段階」という。この実体が本物かどうか私たちは手を変え品を変えて実験を試みる。こうしてその実体が本物か、誤った空想かを「検証」してゆく。この実体論の段階を十分に重ねて、例えば半導体の「surface state」にしろ、電子の「spin」にしろ、少しずつ「本当らしさ」をもってゆくことになる。この段階を十分に経て、その現象の本質を論理で組み立てる「本質論」に高めることが出来る。途中で、現象が「はみ出し」たり、論理の矛盾が露呈したら、また最初に戻ってやり直すことになる。
人間が真実を追究するときには、こういう手順を踏まなければ進めることができない。自然の奥に神があるという立場の人たちにとっては、このような手順は無意味であろう。

トランジスタが生まれるまでの1940年代の初期から1947年12月までの紆余曲折についてショックレーと食事をしながら話をしたことがある。そのとき彼は「全く、考えてみると、途中で何度も正解に手が届く条件が整っているときがあった。人間とは本当に馬鹿だな、と思うが、それは、人間が神様でないことの証明だ。だから、人間にとって失敗を重ねて、しつこく仕事を続けることが宿命なんだと思う」と言っていたのが印象的だった。
結晶表面に別の原子を持ってきてくっつける実験をしていたスタンフォード大学のQuateとはよく議論をしたのだが、そのとき人間が原子レベルの操作で積み木細工ができるようになったら、やってみたいことがあると思っていた。それは、ゾウリムシを手本にして、C、H、Oなどの原子をその手本通りにつなぎ合わせていくというものだ。やがて、ゾウリムシと同じ原子配列の虫ができるだろうが、どの辺で作ったゾウリムシに生命が宿り、動き出すのだろうか。そんなことはありえないだろう。

以前、「科学の終わり」という本についていろいろな人と議論したことがあるが、結極これから残るのは地球、宇宙、生命であろうと思う。本書で取り上げられている人間の基本的な機能、脳の問題などが中心課題だと考える。
また本書で扱っている東洋の宗教の立場について、私は不勉強なのだが、科学についてどういう位置づけをするのか非常に興味がある。その意味で本書は非常に示唆に富んだ内容を含んでおり、いろいろの想念を掻き立てられる。
2011年2月15日記
以上

 


 

寄稿

「親鸞と隣人愛について」

 八木厚夫 エッセイスト 

<はじめに>
私のバックグラウンドは物理学で、宗教には無縁なのですが、昨年のことたまたま我が家の宗旨が真宗ということで、親鸞の思想と脳科学をテーマとしたエッセーを執筆する機会がありました(難中之難無過斯の研究、木耳社2010)。
このとき初めて親鸞の思想に触れ、それまで東洋の片隅のローカルな一宗教家だと思っていた親鸞が、世界に通用する普遍的な信仰のあり方を説いていることに驚かされました。一つ例をあげると、親鸞の絶対他力信仰の姿勢がキリスト教成立初期の人、パウロの信仰の姿勢と全く同じといってよいほど似ていることです。
一方親鸞はキリスト教が説く「隣人愛」のような善意の利他行為については、信仰ではなく人としての道理(自然法爾)として捉えていましたが、そこには宗教家の枠を超えた独自性をみることができます。
これらのことがらは上記の「難中之難無過斯の研究」では触れませんでしたが、親鸞の思想の核心に係るテーマでもあり、本稿で採りあげてみたいと思います。

<パウロと親鸞>
親鸞は、「信仰とは自力で得るものではなく、阿弥陀仏の本願を計らいの心を持たずに受け入れることである。救いとは煩悩に囚われた衆生を哀れむ阿弥陀仏から一方的に与えられる回向であり、阿弥陀仏に何かを捧げたり働きかけること(世俗的な願望のために祈ることや、自力の念仏や修行など)への報いとして与えられるのではない」
と説いていますが、この親鸞の言葉を下記のように読み替えてみます。
「自力」 ⇒ 「知的な理解や己の力、努力」
「弥陀の本願」 ⇒ 「神が与える真実」
「計らいの心を持たずに」 ⇒ 「受身の姿勢で」
「回向」 ⇒ 「恵み」
すると、「信仰とは知的な理解や己の力、努力で得られるものではなく、神が与える真実を誠実に受身の姿勢で受け取ることである。救いとは人の弱さや誤りを許す神から一方的に与えられる恵みであり、神に何かを捧げたり働きかけた報いとして与えられるのではない」
となり、これはパウロの語る信仰(ピスティス)のありかたそのものです。

もちろん今日の教会中心のキリスト教と寺院中心の真宗(他の仏教各派も同様ですが)は、独自の地域的、文化的衣装をまとっており、それらの中身は全く異質といってよいでしょう。
しかし、信仰に向き合う「姿勢」にはパウロと親鸞には共通した普遍性があるように思います。
このことについてキリスト教神学者であり親鸞研究にも造詣が深い上智大学神学部の高山貞美准教授は次のようにコメントされています(2011年8月 談)。

「パウロと親鸞に共通して言えることは、回心を機にそれぞれの人生の舵取りが大きく変えられたと言うことです。
パウロは熱心なパリサイ派ユダヤ教徒としてキリスト教徒を弾圧していましたが、使徒言行録によると西暦34~36年ごろ彼の前にイエスが現れ、このときの衝撃によって回心したといわれます。
この回心の本質とはどのようなものだったのでしょうか。
それは神の現れとその受容という揺るぎない呼応関係の成立にあります。すなわちイエスの愛が先にありそれを恵みとして体得することであり、イニシアティブは常に神の側にあり、人間はそれをつつしんで受容するということです。
パウロの前に現れたイエスは神の言葉を異邦人に告げ知らせるように命じました。パウロはこれを神に選ばれた自らの召命と了解し、宣教のため直ちに異邦人の地であるアラビアへ赴きました。回心後のパウロは人間的な努力、自力、道徳などから離れてキリスト中心のあり方に180度転換したのです。このときの心境を彼はキリストのゆえに他の一切は損失であり塵あくたとみなすとまで言っています。
次に親鸞の回心について見てみましょう。
平安時代の末葉、公家から武士へ権力が移行する社会の変動期に斜陽貴族の家に生まれた親鸞は九歳で出家し、以後およそ二十年を堂僧として叡山の横川で過ごします。そこで天台宗の伝統的な学問を身に付け修行に励みますが、どうしても解決できない問題に苦悩し、下山して六角堂に参篭した後、法然の専修念仏に帰依します。その際の自力から他力への信仰の推移が親鸞の回心といってよいでしょう。
パウロと同様に、親鸞の回心においても、その本質は阿弥陀仏の側からの真実の働きかけとそれに随順するという呼応関係の成立にあります。
なお、親鸞の妻の恵信尼が残した記録によると、親鸞59歳のあるとき自力を恃んで読経しようとして、改めて他力の中に自力の信心が混じっていることに気づいたと書かれていますから、親鸞は回心の後も信仰のありかたについて省察し続けたのでしょう」

私たち日本人は親鸞の絶対他力信仰が親鸞独自のものだと考えますが、実はキリスト教成立の初期におけるパウロの信仰も「他力」だったのです。
高山准教授が指摘されるように、回心後のパウロのあらゆる苦難に立ち向かう超人的な努力を、パウロ自身は自らのものではなく神の力(他力)によるものと確信していました。
恐らく信心を得てからの親鸞の心境もパウロと同じであったと思われます。

<自力の善行>
ところで親鸞は自力の善行には否定的でした。このことが親鸞の思想を世俗的にみれば少し分かりにくくしているようです。努力して善いことをするのが、どうして悪いのでしょうか?
これには親鸞の師である法然の影響があります。法然は有名な「善人でさえ救われる。ましてや悪人が救われることは言うまでも無い」という主旨の言葉で知られます。
ここで法然が言う悪人とは、世間でいわれる悪逆非道とは視点が若干異なり、我欲や怒り、疑い、嫉妬心などに囚われた人間全体を指すのですが、この様に自覚すれば、自分が百パーセント善人であると断言できる者などはこの世に存在しないといってよいでしょう。
法然の思想を受け継いだ親鸞は、努力して善行に努めて善人になろうとする私たち一般大衆の浅はかな計らいは、却って信心の妨げになると考えたのでしょう。
救いを求めるのであれば先ず、自分は善人ではない、という深い自覚が大切だというのです。

親鸞の自力業に対する考えについて高山准教授は次のように話されています。
「仏教では一切衆生悉有仏性といわれるように人にはみな仏としての本性があるという考えがあり、キリスト教の、人は神のイメージで作られたという考えと重なる部分がみられます。しかし仏教では心をもたない草木国土にまで仏性を拡張するところがキリスト教の人間中心の教えと異なると言えましょう。
親鸞はそれまでの仏教が教える万人の持つ仏性に疑問を抱き、自力業には否定的な考えを持っていました。
このことは博愛的な利他行為が自力の善行などの自力業にあたるのではないかという疑問につながります。この問題についてキリスト教では善行(利他行為)について、神を愛するように隣人を愛しなさい(隣人愛)と教えています」

神を愛するというのはパウロによれば報いを求めず誠実に神に向き合うということですから、そのような態度で隣人に接しなさいというキリスト教の精神が、今日のキリスト教社会での弱者救済や社会奉仕なの利他活動に倫理的基盤を与えているといってよいでしょう。

この点、日本社会は少し違うように思います。
日本における弱者救済や社会奉仕などの利他活動には、古くから行基など多くの大乗仏教僧が菩薩道を実践するという自覚を持って取り組んでおり、指導者階級にも菩薩道の精神を理解し尊ぶ多数の信仰者が存在しました。
しかし江戸時代以降、日本社会における倫理基盤は、宗教的というよりも社会的、集団主義的なものに変質したように思われます。この要因として、日本人の気質、禅宗や儒教の影響などの他に、江戸幕府が治世上の政策として支援した親鸞の真宗の基本的性格、すなわち社会や政治などの外部に向かうのではなく個人の内面に向かう信心を重視したこと、が挙げられるのではないでしょうか。

<親鸞と利他行為> 
親鸞は、信心を得ることが阿弥陀仏からの一方的な回向であるのと同じく、信心を得た後にその恩に報いるために行う利他行為も、実は回向の力によるものであって、自力ではないとしています。つまり自力の利他行為というものはありえず、自ら信じることも人を教えて信ぜしむることも結局は阿弥陀仏よりたまはりたる信心に根拠があるとしています。このことについてはパウロの神に対する姿勢も同じです。

それではこれから信心を得ようとする一般大衆に対しては、親鸞はどのように説いていたのでしょうか。
親鸞にとって布教の対象は貴族や僧侶ではない一般大衆(衆生)であり、彼等が信心を得ることを最優先しました。そして、これから信心を得ようとする一般信者に対しては善行に積極的に言及していない、むしろ信心を得るための自力の善行は報いを得ようとして行う人間の浅はかな計らいであり、自力の小さな善行は本当の利他行為にならない(歎異抄)と言っているように思います。
親鸞は、本当の利他行為は信心を得た後に阿弥陀仏から回向される他力によってなされるとしていますが、これは出家僧などに当てはまることで、信心が定まらず世俗に生きなければならない当時の一般大衆には少々分かりにくかったのではないでしょうか。
一般大衆に対して、キリスト教は神の言葉として隣人愛が語られるのに対し、親鸞は自力の善行(隣人愛)には言及していないのです。

<親鸞と善行> 
それでは親鸞は自力の善行をどのように捉えていたのでしょうか。
この点について、真宗大谷派教学研究所の蓑輪秀邦所長は次のような見解を述べられています(2011年9月 私信)。
「親鸞において善行ということは、根本的には人間の本能的行為であって、これを恣意的に、あるいは倫理的帰結として実行すれば、そこには必ず他との対立や批判、議論が生れるという体験的直感があったのではないかと思います。
これは親鸞の自然法爾という考え方、すなわち人間のはからいを越えた根源的な道理、いわば自(おのず)からそうさせる(然)、法としてそうなる(爾)という道理に通じるものです。
ですから、私たちは魂の発露としての善行は大いにやらねばなりません。しかしそのことを他人に誇ったり、他人がそういうことをしていないと批判してはなりません。やるときには静かに黙ってやるべきだと思います。
但し、私たち宗教人の立場としては、現代社会にある差別(人種、階級、性、部落、民族、ハンセン病、心身障害者など)や脱原発などの諸問題については親鸞の人間観の中にある重要な教義と捉えており、今後も発言し積極的に取り組みます」

つまり親鸞は、一般大衆の自力の善行(隣人愛)を否定した訳ではありません。善行は自然法爾、すなわち人の本能に属する事柄であって、恣意的に扱ってはならないのです。

スティーヴン・ミズンの発達心理学によれば、心はあるとき突然に今日のような完全な状態で出来上がったのではなく、人の進化がチンパンジーやゴリラから分かれたとされる約600万年から複数の知性のモジュールがそれぞれ独立に進化し、それらが統合されて約5万年前に現代人類が誕生したとされます。
弱者に手を差し伸べるという行為は社会的知性というにモジュールに属し、人類の祖先が群れによる共同生活を始めたころから、共同体を維持するために徐々に進化したもので、私たちにとっては先験的知性、すなわち本能であり、これが善行本能説の説明になるでしょう。
また共同体を維持するための社会的知性には、共同体メンバーである他者の役に立って仲間ととして認められたい、賞賛されたいという共同体帰属本能があり、この本能的衝動が人にみられる種々の利他行為の誘因になっていると考えられます。

このように親鸞は、世俗的倫理としての善行(隣人愛)を信仰から切り離していました。
個人の魂の救済を目指す信仰と、共同体維持のための先験的知性あるいは行動規範である世俗的倫理(今日の地球環境倫理も含めて)とは別物であって、どちらがどちらの条件になるという関係ではないでしょう。
この意味で、親鸞の思想は今日的であり、親鸞は宗教家を越えた思想家といってよいのではないでしょうか。
               

                                                            2011年12月 完 

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